1. 幼少期から鍼灸師を志すまで
井上恵理は1903年11月5日、栃木県那須郡に生まれました。
青年期から鉄道員として働き、機関車の転落事故を経て脊椎カリエスと全身結核を発症、約2年間の入院生活を送った経験があります。 この苦難を契機に「治療を受ける側」から「治療を行う側」へと転じ、1926年には托鉢をしながら鍼灸師を志す旅に出ています。鍼灸師・関口泰道の下で修行を開始し、その後、師である 柳谷素霊 と出会い、経絡治療確立の動きに関わるようになります。
2. 経絡治療への貢献と臨床スタイル
井上恵理は、昭和初期の「経絡治療」の確立期において重要な役割を果たしました。1940年、古典鍼灸研究会 の創設に関わり、経絡・絡脈・脈診を重視する鍼灸理論の体系化に寄与しています。彼の治療スタイルは「浅鍼・短時間・1対1」の施術を特徴とし、例えば一人当たり数分の鍼を素早く行う形式を取っていたと伝えられています。また、灸法「知熱灸」を考案し、熱を感じたらすぐに取り去るという発想のもと、火傷を起こさず灸の効果を追求しました。
3. 主な業績と治療流派「井上系」
井上恵理は「井上系経絡治療」と呼ばれるひとつの流れを形作った人物です。彼が開発・普及させた浅鍼・短時間の施術は、鍼灸師が多数の患者を効率的に診るための工夫とされ、そのスタイルは1960〜70年代以降も多く継承されました。また、その理論背景には伝統的な脈診・証立てという東洋医学的思考があり、「経絡を読み、証を立てて取穴・手技を決める」という臨床観が色濃く表れています。
4. 著作・講義録とその特徴
井上恵理は自身の臨床・理論を反映した著作・講義録を残しており、特に『井上恵理の難経講義』は2019年に出版された講義録で、古典『難経』を16回にわたり講義した内容が文字化・編集されたものです。この本には、理論の解説だけでなく質疑応答が収録されており、臨床と古典をつなぐ実践的な資料として鍼灸師に評価されています。
5. 人柄・教育活動・今日への継承
井上恵理は、病苦から立ち上がった自身の経験を背景に、鍼灸師としての教育・普及活動にも尽力しました。東京都鍼灸師会会長も務め、鍼灸界の組織的発展に貢献しています。 また、弟子やその後継者によって「井上系」の治療流派は現在でも受け継がれており、近年の鍼灸夏期大学などの講座でも彼のスタイル・理論が紹介されています。
6. まとめ
井上恵理は、鉄道員から鍼灸師へ転じ、伝統鍼灸を現代臨床に活かすために理論・技術・教育を三角で支えた人物です。知熱灸の創案、浅鍼・短時間の施術体系、血気に頼らず「脈を診る・証を立てる」という東洋医学的な治療観の提示―いずれも今日の鍼灸師にとって学びとなる要素です。彼の著作や流派に触れることで、鍼灸治療を深く理解する道が開かれていると言えるでしょう。
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