1. 幼少期から鍼灸師を志すまで
福島弘道は1910年、長野県に生まれた。幼少期はごく普通の家庭で育ち、当時の農村社会に特有の生活環境の中で成長した。後に彼の人生を大きく変えることになる視力の喪失は、この時点では想像もつかないものであった。しかし、この原体験が後年、身体感覚を研ぎ澄ませ、人のわずかな変化を脈から読み取るという独自の鍼灸観へつながっていく。
1932年、彼は満州事変に出征した。戦地では過酷な環境に置かれ、負傷により帰国後失明することになる。この挫折は大きかったが、彼は失意の中でも前を向き、松本盲学校へ入学。ここで、あん摩・鍼灸という職を学ぶことができると知ったことが、彼の人生の転機となった。
2. 視覚障害を乗り越えた技術習得と“脈診”への傾倒
盲目となった福島が最も磨き上げた能力が「脈を診る」技術である。視覚を失ったことで、彼は聴覚・触覚が鋭敏になり、特に触覚に依拠する脈診に深い関心を抱いた。当時、脈診は古典書に記述があっても実践的な継承が難しいとされ、十分な教育体系が整っていなかった。だが福島はその難しさにこそ価値を見出し、「脈を診て証を立てる」という伝統的鍼灸の根幹を再構築しようと試みた。
彼の脈診は単に速さや強さを見るものではない。脈の深浅、滑り、緊張、力の方向性など、細やかな情報を読み取り、体内の気血の偏りや虚実、寒熱といった状態を把握していく。こうした観察力は、視覚に頼らず患者の身体を捉える彼独自の臨床力を形成した。
3. 東洋はり医学会の創設と経絡治療の体系化
1959年、福島弘道ら視覚障害をもつ5名の鍼灸師が発起人となり、東京古典はり医学会(後に東洋はり医学会と改称)が設立された。ここでは、古典医学に基づく鍼灸理論を現代の臨床に生かすため、脈診・経絡治療の研究と普及が行われた。会は視覚障害者だけでなく晴眼の鍼灸師にも広がり、現在では国内外に支部を持つ組織に成長している。
福島の指導は厳しくも丁寧で、弟子たちは脈診の基本から鍼の操作、経絡の理解まで徹底的に学んだという。彼は「証を立てて治療する」という古典医学の姿勢を重んじ、表面的な症状だけでなく、体内の気血の流れ・偏りに目を向けることを強調した。こうした姿勢は現代の鍼灸師にも受け継がれている。
4. 福島弘道の主要著作と内容解説
福島は教育者としても優れ、多くの著作を残している。以下では重要な書籍の内容を紹介する。
■『経絡治療要綱 ― 脈診によるはり実技の指導書』
この書は、福島の臨床哲学を最も凝縮した一冊といえる。脈診の取り方、脈の変化の読み方、証の立て方、そしてどの経絡にアプローチするべきかを、実技の視点から詳細に記述している。脈診・経絡治療の体系化に大きな役割を果たし、現在でも多くの鍼灸師が学ぶ基準書となっている。
■『わかりやすい経絡治療』
入門者向けに書かれた本で、経絡治療の流れを丁寧に説明している。証を立ててから補瀉を決め、治療の方向性を明確にするという基本が理解しやすいように構成されており、学生からベテランまで幅広い層に読まれている。
■その他の著作
「経絡治療学原理(上下巻)」「素問医学の原点 正しい鍼灸術への道」など、古典に基づく理論書も多数執筆した。それらは古典書『黄帝内経』『難経』などの理解をさらに深め、現代臨床に落とし込むための貴重な資料となっている。
5. 教育者としての側面と人柄
弟子の証言によれば、福島は厳格でありながらも温かさを持つ指導者であったという。脈診の習得には膨大な訓練が必要であり、弟子たちには「まず脈に聞け」と繰り返した。また、視覚障害を抱えながらも高い技術を持つ姿勢は、多くの鍼灸師に勇気と希望を与えた。
6. 晩年とその遺産
1995年、福島弘道は東京都小平市の病院で脳梗塞により逝去した。しかし、彼の遺した学会組織、著作、そして弟子たちを通じた技術の継承は今も生き続けている。特に脈診・経絡治療は日本のみならず海外でも注目され、伝統医学の視点から身体を理解しようとする動きの中で重要な役割を果たしている。
7. まとめ
福島弘道は、視覚障害という大きな壁を乗り越え、古典医学の精神を踏まえつつ現代鍼灸に応用できる体系を築いた稀有な人物である。彼の鍼灸観は「人の脈に触れ、身体の声を聞く」ことであり、これは東洋医学が持つ根本原理そのものだといえる。今日の鍼灸師が経絡治療を学ぶ際、彼の著作と理念は大きな指針となり続けている。
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