はじめに
東洋医学において「脾」は“気血生化の源”とされ、飲食物から得た栄養をエネルギー(気)と血液に変換する臓器です。
現代解剖学でいう脾臓(spleen)は、左上腹部・胃の背後に位置する小臓器で、
免疫・造血・古い赤血球の処理といった役割を担います。
このため、東洋医学でいう「脾」は単なる脾臓ではなく、
膵臓・小腸・一部の肝機能を含む“消化吸収システム全体”として捉えられています。
鍼灸師が脾の構造と機能を理解することは、
・食欲不振や下痢などの消化器症状
・慢性的な疲労や冷え
・免疫の低下やアレルギー傾向
などの背景を、解剖と経絡の両面から分析することにつながります。
1️⃣ 脾臓の構造と位置
脾臓は左季肋下(第9〜11肋骨後方)に位置し、肋骨によって保護されています。
- 形状:楕円形で柔らかく、長径約10cm、重さ約150g
- 位置:左横隔膜の下、胃の後方
- 支配神経:腹腔神経叢(T6〜T10)
- 血流:脾動脈(腹腔動脈から分岐)、脾静脈(門脈へ合流)
脾臓はリンパ組織に富み、免疫のフィルターとして働きます。
また、古い赤血球を分解して鉄を再利用するなど、血液のリサイクルセンター的役割も担います。
鍼灸的には、脾臓の働きは“胃とのペア”で捉えられ、
「脾は運化を司り、胃は受納を司る」とされます。
つまり、脾の弱りは食べ物を“消化して吸収する力”の低下を意味します。
2️⃣ 脾と消化吸収の解剖学的連携
| 器官 | 構造的関係 | 主な働き | 鍼灸的対応 |
|---|---|---|---|
| 胃 | 左上腹部の前面 | 消化液による分解 | 中脘・梁門 |
| 小腸 | 腹部中央 | 栄養吸収 | 天枢・上巨虚 |
| 膵臓 | 胃の後方 | 酵素分泌・血糖調整 | 中脘・脾兪 |
| 脾臓 | 胃後方・左季肋下 | 免疫・造血 | 章門・脾兪 |
これらの臓器は「脾胃」として一体的に働き、
食べたものを“気血”に変えるエネルギー変換システムを構築しています。
3️⃣ 脾と関連する主要経穴
| 経穴名 | 経絡 | 位置 | 主な作用 |
|---|---|---|---|
| 章門(LR13) | 肝経・脾募穴 | 第11肋骨先端下 | 脾胃の調整・腹満・疲労感 |
| 脾兪(BL20) | 膀胱経 | 第11胸椎棘突起下縁 | 消化促進・免疫・水分代謝 |
| 足三里(ST36) | 胃経 | 膝下3寸・脛骨外側 | 消化・代謝・全身補気 |
| 三陰交(SP6) | 脾・肝・腎経交会 | 内果上3寸 | 冷え・倦怠・ホルモン調整 |
| 太白(SP3) | 脾経 | 第1中足骨頭後方 | 消化不良・虚弱体質 |
これらのツボを「前(章門)」「背(脾兪)」「下肢(足三里・三陰交)」で連動させると、
脾胃系の気血生成を立体的に補うことができます。
4️⃣ 鍼灸施術と安全の要点
- 章門は肋骨下の浅刺
→ 肋骨下に脾臓があるため、刺入は外斜刺0.3〜0.5寸が安全。 - 脾兪は横刺または外斜刺
→ 深刺すると胸膜や肺下葉に近づくため、角度を外方へ。 - 足三里は補法中心に使用
→ 消化不良・倦怠感・虚弱体質には温灸や灸頭鍼が有効。 - 冷え体質には腹部温灸併用
→ 脾経の「冷え=運化低下」を補う。
5️⃣ 臨床応用
- 慢性疲労・倦怠感・気虚体質
→ 足三里+脾兪+関元で気血生化を補う。 - 食欲不振・胃のもたれ
→ 章門+中脘+足三里で消化促進。 - 下痢・軟便・むくみ
→ 脾兪+三陰交+天枢で水分代謝改善。 - 免疫低下・アレルギー体質
→ 脾兪+風門+肺兪の温灸で防衛機能を高める。
まとめ
脾臓は、東洋医学的には“エネルギーを生み出す中心”であり、現代的にも免疫と栄養吸収の要です。
その機能が低下すると、気力不足・疲労感・食欲不振・浮腫など、全身の不調に波及します。
鍼灸師が脾の解剖を理解することは、安全な肋間刺鍼のためだけでなく、
消化・免疫・代謝を包括的に整える基礎となります。
足三里や章門といったツボを的確に用いれば、
“食べて動ける身体”を内臓から作ることが可能です。
次回は、「肝臓と脾臓の連携 ― 血と気のバランスを支えるメカニズム」をテーマに、
両臓器の協調関係と鍼灸的アプローチをさらに掘り下げます。
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