5月になると、なんとなく身体が重くなる。
朝、布団から出るのに時間がかかる。
やる気が出ない。
仕事や学校に向かう足取りが重い。
理由ははっきりしないのに、気持ちが沈む。
休んだはずなのに、疲れが抜けていない。
そんな状態を、私たちはよく「五月病」と呼びます。
五月病は、正式な病名ではありません。けれど、多くの人がこの言葉に実感を持つのは、5月という季節に、心と身体のバランスが崩れやすい理由があるからです。
4月は、新しい環境が始まる季節です。
入学、就職、異動、新年度、新しい人間関係。
自分ではそれほど無理をしていないつもりでも、心と身体はいつもより多くの情報を受け取り、いつもより多くの緊張を抱えています。
そして、ゴールデンウィークを迎える。
少し休む。
張りつめていた糸が、ふっとゆるむ。
その瞬間、それまで見えなかった疲れが表に出てくることがあります。
東洋医学の視点から見ると、五月病は単なる「気分の問題」ではありません。
春から初夏にかけての季節の変化、気の巡り、胃腸の働き、睡眠、感情の揺らぎが重なって起こる、心身のサインとして捉えることができます。
春は、身体も心も外へ向かう季節
東洋医学では、春は「肝」と関係が深い季節とされています。
ここでいう肝は、現代医学の肝臓だけを意味するものではありません。東洋医学における肝は、気の巡り、感情の調整、筋肉や腱の働き、そしてのびやかに動く力と関係します。
春になると、自然界では草木が芽吹きます。
冬のあいだ、土の中でじっとしていた力が、外へ向かって伸びていく。
枝葉が広がり、花が咲き、空気も少しずつ動き出す。
人間の身体も、自然の一部です。
冬のあいだ、内側にこもっていたエネルギーは、春になると外へ向かい始めます。
活動したい。
動きたい。
何かを始めたい。
そうした力が、本来は春に高まっていきます。
しかし、現代の春は、自然にのびのびと動き出すだけの季節ではありません。
新しい環境に慣れなければならない。
初対面の人と関係をつくらなければならない。
期待に応えなければならない。
失敗しないように気を張らなければならない。
身体は春に向かって開こうとしているのに、心は緊張で固まっている。
このズレが、五月病の背景にあります。
気が巡らないと、心も身体も重くなる
東洋医学では、心身の働きを支える大切なものとして「気」という考え方があります。
気は、目に見えるものではありません。
けれど、私たちは日常の中で「気」をよく感じています。
元気がある。
気が重い。
気が張る。
気が抜ける。
気が滅入る。
気を遣う。
こうした言葉は、東洋医学の感覚ともよく重なります。
五月病でよく見られるのは、この気がうまく巡らなくなった状態です。
東洋医学では、これを「肝気鬱結」と考えることがあります。
肝気鬱結とは、肝の働きによってのびやかに巡るはずの気が、どこかで滞ってしまう状態です。
たとえば、こんな感覚はないでしょうか。
胸のあたりがつかえる。
ため息が増える。
みぞおちが重い。
首や肩がこる。
頭が重い。
イライラしやすい。
気分が晴れない。
何をするにも腰が重い。
これらは、気の巡りが悪くなっているサインとして見ることができます。
特に春は、肝の働きが活発になりやすい季節です。
本来なら、気がのびやかに流れることで、身体も心も軽くなっていきます。
ところが、我慢が続く。
気を遣いすぎる。
言いたいことを飲み込む。
緊張が抜けない。
予定を詰め込みすぎる。
そうすると、気はスムーズに流れなくなります。
五月病の「やる気が出ない」は、単に怠けているわけではありません。
気を張り続けた結果、気の巡りが滞り、心と身体が前に進みにくくなっている状態ともいえます。
胃腸が弱ると、気力も弱る
五月病では、気の巡りだけでなく、胃腸の弱りも大きく関わります。
東洋医学では、胃腸の働きを「脾胃」と呼びます。
脾胃は、食べ物を消化吸収し、身体に必要な気血をつくる土台です。
つまり、脾胃が元気であれば、日々の活動に必要なエネルギーが生まれます。
反対に、脾胃が弱ると、身体だけでなく、気力も落ちていきます。
5月に入って、こんな状態が出る人もいます。
食欲がない。
胃が重い。
甘いものばかり欲しくなる。
身体がだるい。
朝から疲れている。
眠気が強い。
集中力が続かない。
便がゆるい。
これらは、脾胃の働きが落ちているサインとして見ることができます。
東洋医学には、「思い悩むと脾を傷る」という考え方があります。
考えすぎること、気を遣いすぎること、不安を抱え続けることは、胃腸の働きに影響します。
新年度は、考えることが増えます。
覚えることも増えます。
人間関係も変わります。
気疲れも増えます。
その積み重ねによって、脾胃は少しずつ弱っていきます。
すると、食べても元気にならない。
寝ても回復しない。
頑張ろうとしても力が湧いてこない。
五月病のだるさは、心だけの問題ではありません。
気をつくる土台が弱っていることもあるのです。
心が休まらないと、眠りも浅くなる
五月病では、不安や眠りの浅さが出ることもあります。
東洋医学では、精神の安定を「心」と関係づけて考えます。
心は「神」を宿すとされます。ここでいう神とは、意識や精神活動、安心感、落ち着きのようなものです。
新しい環境にいるとき、私たちは思っている以上に周囲を見ています。
この人にはどう接したらいいのか。
自分はどう見られているのか。
失敗していないか。
期待に応えられているか。
明日は何をしなければならないか。
身体は家に帰っていても、心はまだ職場や学校に残っている。
そんな状態が続くと、休んでいるつもりでも、心は休まりません。
その結果、眠りが浅くなることがあります。
寝つきが悪い。
夜中に目が覚める。
夢をよく見る。
朝起きてもすっきりしない。
動悸がする。
なんとなく不安になる。
焦りやすい。
こうした状態は、心神が落ち着いていないサインとして考えることができます。
眠りは、ただ身体を横にする時間ではありません。
東洋医学では、眠りは気血を養い、心を静め、翌日に向けて整え直す大切な時間です。
眠りが乱れると、肝の気も巡りにくくなります。
脾胃の働きも落ちやすくなります。
すると、さらに疲れやすくなり、気分も不安定になります。
五月病を整えるうえで、睡眠はとても大切な入口です。
初夏の「湿」が、身体を重くする
5月は、春から初夏へ移り変わる時期です。
日中は汗ばむ日が増え、雨の日も多くなっていきます。
梅雨の気配が少しずつ近づき、空気の中に湿り気が増えてきます。
東洋医学では、この時期に「湿」の影響を受けやすいと考えます。
湿とは、身体にまとわりつく余分な水分や重だるさのようなものです。
湿が身体に停滞すると、動きが鈍くなります。
身体が重い。
頭が重い。
むくみやすい。
胃が重い。
眠気が強い。
天気が悪いと調子が悪い。
なんとなく動きたくない。
このような症状は、湿の影響として見ることができます。
湿は、脾胃とも深く関係します。
脾胃が弱ると、身体の水分をうまくさばく力が落ちます。
すると湿がたまりやすくなります。
そして湿がたまると、さらに脾胃が弱ります。
つまり、胃腸の弱りと身体の重だるさは、互いに関係しながら悪循環をつくることがあります。
五月病の「だるい」「重い」「ぼんやりする」という感覚には、気の滞り、脾胃の弱り、心の疲れに加えて、この湿の影響が重なっていることもあるのです。
五月病は、頑張った身体からの知らせ
ここまで見てくると、五月病は「やる気がない人の問題」ではないことが分かります。
むしろ、4月に頑張った人ほど、5月に疲れが出ることがあります。
気を張っていた。
周囲に合わせていた。
新しい環境に適応しようとしていた。
いつもより多く考えていた。
いつもより多く我慢していた。
その積み重ねが、5月になって表に出てくる。
東洋医学的にまとめると、五月病は次のように考えることができます。
春に高まるはずの肝の気が、ストレスや緊張によって滞る。
考えすぎや気疲れによって、脾胃が弱り、気をつくる力が落ちる。
心が休まらず、眠りが浅くなる。
さらに初夏の湿が重なり、身体が重くなる。
その結果、やる気が出ない、だるい、眠れない、気分が落ち込む、身体が重いといった状態が現れます。
五月病は、心と身体が「少し整え直したい」と知らせてくれている状態ともいえます。
五月病の養生は、気合いではなく「整える」こと
五月病のとき、多くの人は自分を責めてしまいます。
もっと頑張らないと。
気合いが足りない。
みんなは普通にできているのに。
自分だけが弱いのではないか。
けれど、東洋医学の養生では、不調を力で押し切ることをすすめません。
大切なのは、気を巡らせること。
脾胃を助けること。
心を休ませること。
湿をためこまないこと。
つまり、頑張る前に整えることです。
まず、朝は光を浴びる。
カーテンを開けるだけでも構いません。
できれば少し外に出て、朝の空気を吸う。
身体に「一日が始まる」と知らせることが、生活リズムを整える助けになります。
次に、軽く歩く。
激しい運動でなくて構いません。
近所を10分歩く。
駅まで少し遠回りする。
昼休みに外へ出る。
肝は、のびやかな動きを好みます。
歩くことは、気の巡りを助けるシンプルな養生です。
食事では、胃腸を冷やさないことが大切です。
冷たい飲み物、生もの、甘いもの、脂っこいものを摂りすぎると、脾胃に負担がかかります。
味噌汁、粥、スープ、温野菜など、温かく消化にやさしいものを意識するとよいでしょう。
生姜、ねぎ、しそ、陳皮のような香りのある食材も、気の巡りを助ける養生として使いやすいものです。
夜は、刺激を減らすことも大切です。
寝る直前までスマートフォンを見る。
仕事の連絡を確認する。
考えごとを続ける。
こうした習慣は、心を休ませにくくします。
照明を少し落とす。
ゆっくり入浴する。
深く息を吐く。
軽くストレッチをする。
眠る前に、心を静かにする時間をつくる。
それだけでも、心神を落ち着かせる助けになります。
そして、予定を詰め込みすぎないこと。
五月病の時期は、「遅れを取り戻さなければ」と思いがちです。
しかし、余白がない生活は、肝の気をさらに詰まらせます。
何もしない時間。
ぼんやりする時間。
一人で過ごす時間。
早めに帰る日。
そうした余白も、立派な養生です。
鍼灸で見る五月病
鍼灸臨床では、五月病のような不調を一つの型だけで見ることはありません。
同じ「やる気が出ない」という訴えでも、その背景は人によって異なります。
ある人は、肝気鬱結が中心かもしれません。
胸のつかえやため息、イライラ、首肩こりが目立つ場合です。
ある人は、脾胃虚弱が中心かもしれません。
食欲低下、だるさ、眠気、便のゆるさが目立つ場合です。
ある人は、心神不安が強いかもしれません。
眠れない、不安が強い、動悸がする、落ち着かない場合です。
またある人は、湿の影響が強いかもしれません。
身体が重い、頭が重い、むくむ、雨の日に不調が強くなる場合です。
東洋医学では、症状だけを見るのではなく、その人の体質、生活、季節、感情、睡眠、食事を合わせて考えます。
「五月病」という一つの言葉の奥には、人それぞれの疲れ方があります。
だからこそ、鍼灸では、どこが滞っているのか、どこが弱っているのか、どこを支える必要があるのかを丁寧に見ていきます。
不調が長引くときは、相談することも大切
五月病は一時的な不調として語られることが多いですが、注意が必要な場合もあります。
気分の落ち込みが長く続く。
眠れない日が続く。
食欲が大きく落ちている。
仕事や学校に行くことが難しい。
強い不安がある。
消えてしまいたい気持ちがある。
このような場合は、セルフケアだけで抱え込まず、医療機関や専門家に相談することが大切です。
東洋医学の養生や鍼灸は、心身を整える大きな助けになります。
一方で、必要なときには現代医学的な支援につながることも大切です。
心と身体は、どちらか一方だけで成り立っているわけではありません。
だからこそ、不調を一人で抱え込まないことも養生の一つです。
五月病を、身体からのメッセージとして受け取る
五月病は、怠けではありません。
甘えでもありません。
春から初夏にかけて、心と身体が新しい環境に適応しようとしているサインです。
東洋医学は、人間を季節や自然から切り離して考えません。
春には春の揺らぎがあります。
初夏には初夏の重だるさがあります。
環境が変われば、気も変わります。
人間関係が変われば、心も揺れます。
その揺らぎの中で、身体は何とかバランスを取ろうとしています。
5月の不調に必要なのは、さらに自分を追い込むことではありません。
気を巡らせる。
胃腸を温める。
よく眠る。
外を歩く。
深く息を吐く。
予定に余白をつくる。
そうした小さな養生の積み重ねが、心と身体を少しずつ元の位置へ戻してくれます。
五月病とは、頑張れない自分の証拠ではありません。
頑張ってきた心身が、「そろそろ整え直したい」と教えてくれている状態です。
だからこそ、5月は自分を責める季節ではなく、自分を整える季節として過ごしてみてもよいのではないでしょうか。
参照リンク
- 厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/index.html - 厚生労働省「こころの耳」
https://kokoro.mhlw.go.jp/ - NCCIH「Traditional Chinese Medicine: What You Need To Know」
https://www.nccih.nih.gov/health/traditional-chinese-medicine-what-you-need-to-know - NCCIH「Acupuncture: Effectiveness and Safety」
https://www.nccih.nih.gov/health/acupuncture-effectiveness-and-safety
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