はじめに
心と肺は「気」と「血」を動かす臓腑であり、同時に感情と自律神経のリズムを司る中心的な臓器でもあります。
東洋医学では、心は「神を蔵し血を主る」、肺は「気を主り呼吸を司る」とされ、
その連携は「情動と呼吸の調和」を生み出します。
現代生理学的にも、心拍と呼吸は密接に連動しています。
吸気で心拍数が上がり、呼気で下がる「呼吸性洞性不整脈」は、
副交感神経(迷走神経)の健康指標であり、リラックス状態を反映します。
このリズムが乱れると、動悸・不安・息苦しさ・ストレス性不眠などが生じます。
鍼灸では、心肺の働きを調整しながら呼吸と感情のバランスを整えることで、
自律神経系を安定させることが可能です。
1️⃣ 心肺と自律神経の解剖生理
| 要素 | 主な機能 | 関係する構造 | 鍼灸的意義 |
|---|---|---|---|
| 交感神経 | 心拍上昇・血管収縮・呼吸促進 | 胸髄T1〜T5 | 活動時・緊張時に優位 |
| 副交感神経 | 心拍抑制・呼吸緩和・内臓活動促進 | 迷走神経(脳幹から) | 休息・回復を促進 |
| 横隔膜 | 呼吸運動・胸腔圧調整 | 肋骨・腰椎・心膜に連動 | 呼吸と循環を同期させる |
| 心包 | 心臓を保護・情動と関連 | 心包経・任脈 | ストレス・不安に関与 |
心拍と呼吸は「迷走神経ループ」を介して連携しています。
この神経の働きを整えることが、心身の安定や睡眠の質向上に直結します。
2️⃣ 心肺不調のメカニズム
● 東洋医学的視点
- 心火旺盛 → 動悸・不安・不眠
- 肺気鬱結 → 胸のつかえ・呼吸の浅さ・ストレス感
- 気血の乱れ → めまい・倦怠・抑うつ感
● 現代生理学的視点
ストレスや交感神経過活動により、
心拍と呼吸の同期が崩れ、迷走神経のトーンが低下。
これにより呼吸が浅く、血流が滞り、睡眠の質が悪化します。
3️⃣ 心肺調整に関係する主要経穴
| 経穴名 | 経絡 | 位置 | 主な作用 |
|---|---|---|---|
| 膻中(CV17) | 任脈・気会 | 両乳頭間中央 | 呼吸リズム・情動安定・胸部緊張緩和 |
| 巨闕(CV14) | 任脈・心包募穴 | 胸骨下端下1寸 | 動悸・不安・胸痛緩和 |
| 内関(PC6) | 心包経 | 手首横紋上2寸 | 自律神経調整・ストレス緩和・不眠 |
| 神門(HT7) | 心経 | 手首横紋上小指側 | 精神安定・情動鎮静 |
| 太淵(LU9) | 肺経 原穴 | 手首橈側 | 呼吸促進・循環調整 |
| 肺兪(BL13) | 膀胱経 | 第3胸椎棘突起下縁 | 呼吸機能・免疫強化 |
前面(膻中・巨闕)で呼吸を、背面(肺兪)で循環を、
末梢(内関・神門・太淵)で自律神経を調整することで、
「呼吸―循環―感情」の三位一体的調整が可能になります。
4️⃣ 鍼灸施術と安全の要点
- 胸部刺鍼は浅刺・斜刺厳守
→ 膻中・巨闕は0.3〜0.5寸。肋間刺入時は外斜刺で安全を確保。 - 呼吸リズムに合わせた刺鍼
→ 吸気で刺入、呼気で抜鍼。副交感神経優位を誘導。 - 手首経穴の穏やかな刺激
→ 内関・神門は軽補法で。過刺激は心悸を悪化させる可能性あり。 - 灸・温熱療法の併用
→ 肺兪・膻中への温灸で胸郭を開き、呼吸を深める。
5️⃣ 臨床応用
- ストレス・動悸・不安感
→ 内関+神門+膻中で自律神経を安定。 - 呼吸が浅く胸がつかえる
→ 膻中+太淵+肺兪。呼吸リズムを整え酸素循環を促進。 - 不眠・焦燥・情動不安定
→ 神門+内関+巨闕。心火を鎮め精神を安定。 - 慢性疲労・息切れ・倦怠感
→ 肺兪+足三里+太淵で気血循環を補う。
まとめ
心と肺の関係は、「気血の循環」だけでなく、「感情と呼吸のリズム」を整える核となる関係です。
呼吸の浅さは交感神経の過活動を反映し、
動悸・不安・不眠といった現代的症状の根底に関わっています。
鍼灸では、膻中・内関・神門・太淵・肺兪などを用いて、
呼吸と心拍のリズムを整え、自律神経のバランスを回復できます。
呼吸を整えることは、感情を整えること。
感情を鎮めることは、身体全体のリズムを整えること——。
心肺の調和は、「息」と「鼓動」をつなぐ生命の旋律を取り戻す治療でもあります。
次回は、「肝脾肺の三臓連携 ― 消化・呼吸・感情を統合する鍼灸の理論」をテーマに、
全身的な臓腑ネットワークの臨床応用を解説します。
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