はじめに
肝と肺は、東洋医学において「気の昇降と調整」を司る重要な臓腑です。
肝は全身の気の流れを調え、情動や筋肉の緊張をコントロールします。
一方で肺は「気を主り」、呼吸によって清気を取り込み、身体全体に配布します。
この二つの臓腑は「肝気の疏泄」と「肺気の粛降」によって絶妙なバランスを保っています。
しかし、ストレスや長時間の緊張姿勢、浅い呼吸などによりこのバランスが崩れると、
「肝気鬱結(かんきうっけつ)」や「肺気虚(はいききょ)」が生じ、
息苦しさ・肩こり・胸の圧迫感・ため息・情緒不安定などが現れます。
鍼灸師にとって、肝肺の連携を理解することは、
呼吸と情動、姿勢と気血循環を一体として整える上で欠かせません。
1️⃣ 肝肺の解剖学的関係
| 臓器 | 位置 | 主な機能 | 鍼灸的意義 |
|---|---|---|---|
| 肝臓 | 右上腹部 | 代謝・解毒・血液貯蔵・胆汁分泌 | 気の疏泄・血流調整・情動安定 |
| 肺 | 胸腔内・左右両側 | 呼吸・ガス交換・免疫 | 気の取り込み・発散・防衛機能 |
肝臓は横隔膜のすぐ下、肺の右葉と隣接しており、
両者は呼吸運動を通じて機械的にも連携しています。
特に横隔膜の動きは、肝の血流と肺の換気を同時に促進するため、
肝肺のリズム=呼吸の深さとストレス耐性に直結します。
2️⃣ 肝肺不調のメカニズム
● 東洋医学的視点
- 肝気の滞り → 肋間筋緊張・胸の圧迫・浅呼吸
- 肺気の虚 → 声の弱さ・息切れ・気力低下
- 肝火上炎 → のぼせ・怒り・頭痛・胸苦しさ
● 現代生理学的視点
ストレスによる交感神経優位が続くと、呼吸筋(特に横隔膜と肋間筋)が硬化し、
呼吸が浅くなります。これが肝臓の血流低下を招き、代謝やホルモン調整にも影響します。
その結果、ストレス性呼吸障害・慢性肩こり・自律神経失調が生じやすくなります。
3️⃣ 肝肺に関係する主要経穴
| 経穴名 | 経絡 | 位置 | 主な作用 |
|---|---|---|---|
| 期門(LR14) | 肝経・募穴 | 乳頭直下、第6肋間 | 胸のつかえ・怒り・情動安定 |
| 中府(LU1) | 肺経・募穴 | 鎖骨下窩外方、第1肋間 | 呼吸促進・胸部緊張緩和 |
| 肝兪(BL18) | 膀胱経 | 第9胸椎棘突起下縁 | 疏泄促進・肩こり・自律神経調整 |
| 肺兪(BL13) | 膀胱経 | 第3胸椎棘突起下縁 | 呼吸機能改善・免疫強化 |
| 太衝(LR3) | 肝経原穴 | 足背、第1・2中足骨間 | ストレス緩和・気滞改善 |
| 列缺(LU7) | 肺経 絡穴 | 手首橈側、茎状突起上方 | 呼吸・情動・首肩の緊張緩和 |
これらを上肢(列缺)・胸部(中府・期門)・背部(肺兪・肝兪)・下肢(太衝)で連動させることで、
呼吸と情動をつなぐ「肝肺ネットワーク」を整えることができます。
4️⃣ 鍼灸施術と安全の要点
- 胸部刺鍼の浅刺厳守
→ 中府・期門は0.3〜0.5寸。深刺すると肋膜刺激のリスクあり。 - 背部兪穴は呼吸に合わせて刺入
→ 肺兪・肝兪は吸気時刺入・呼気時抜鍼。呼吸リズムと神経を同調させる。 - 呼吸誘導と併用
→ 鍼刺激中に深呼吸を促すことで、横隔膜と自律神経を同時に活性化。 - 温灸・灸頭鍼の併用が効果的
→ 肝兪・中府・三陰交への温熱刺激で、胸部緊張と冷えを解消。
5️⃣ 臨床応用
- ストレス・胸の圧迫感・息苦しさ
→ 期門+中府+太衝+列缺で呼吸を深める。 - 肩こり・背中の張り・浅呼吸
→ 肝兪+肺兪+膻中で肋間筋と横隔膜の緊張を緩める。 - 情動不安・不眠・焦燥感
→ 太衝+内関+神門で情動と呼吸リズムを安定。 - 免疫低下・風邪をひきやすい
→ 肺兪+風門+三陰交の温灸で防衛気を強化。
まとめ
肝肺の連携は、「気の流れ」と「呼吸のリズム」を調和させる中枢的な機構です。
ストレスや姿勢の乱れで呼吸が浅くなると、肝の疏泄が滞り、情動が乱れやすくなります。
逆に呼吸を深め、胸郭を緩めることで、肝の気がのびやかに巡り、精神が穏やかになります。
鍼灸では、期門・中府・肝兪・肺兪・太衝・列缺などを用いて、
「気の滞りと呼吸の浅さ」を同時に整えることができます。
呼吸が深くなると、気血の流れも柔らかくなる。
それこそが、肝肺調和の真価であり、ストレス社会に生きる現代人に最も必要な治療哲学です。
次回は、「心脾の関係 ― 思考と消化をつなぐ精神生理の調整」をテーマに、
ストレス性胃腸障害や不眠への鍼灸的アプローチを解説します。
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