はじめに
胸郭筋群は、呼吸運動の中心を成し、姿勢と上肢運動をつなぐ“前面の支柱”です。主に大胸筋・小胸筋・前鋸筋から構成され、胸郭の形状を保ちながら、呼吸・循環・姿勢・感情表現に深く関与しています。大胸筋は上肢の動きを担う一方で、胸を広げたり縮めたりする動作にも寄与し、小胸筋や前鋸筋は肋骨を引き上げることで吸気を助けます。これらの筋群が柔軟に動くことで、胸郭が開放され、深く安定した呼吸が可能になります。
しかし、現代人はデスクワークやストレスによる胸の閉塞姿勢(巻き肩・猫背)をとることが多く、胸郭筋群の緊張が慢性化しています。この状態は呼吸の浅さ、酸素不足、さらには交感神経優位を招き、不安やイライラ、集中力低下といった症状にもつながります。鍼灸では、膻中・中府・雲門・天池など胸部のツボを中心に施術することで、筋と呼吸、心身のリズムを整え、自然な深呼吸を取り戻すことができます。
胸郭筋群の解剖学的特徴
1. 大胸筋(Pectoralis major)
- 起始:鎖骨・胸骨・第1〜6肋軟骨
- 停止:上腕骨大結節稜
- 作用:上腕の内転・内旋・屈曲、吸気補助
- 臨床意義:猫背・呼吸制限・肩前面の圧迫感に関与
2. 小胸筋(Pectoralis minor)
- 起始:第3〜5肋骨
- 停止:烏口突起
- 作用:肩甲骨を下制・前傾、肋骨の引き上げ
- 臨床意義:胸郭出口症候群・呼吸の浅さ・自律神経失調症に関連
3. 前鋸筋(Serratus anterior)
- 起始:第1〜8肋骨外側面
- 停止:肩甲骨内側縁
- 作用:肩甲骨の外転・上方回旋、吸気補助
- 臨床意義:肩甲骨の安定性・呼吸リズムの維持に関与
触診のポイント
- 大胸筋:鎖骨下から胸骨側を横方向に軽く圧して硬結を確認。
- 小胸筋:肩甲骨烏口突起の下方、深層に存在。圧痛を訴えることが多い。
- 前鋸筋:腋窩から肋骨外側をたどると触知可能。呼吸運動と連動して動く。
胸郭筋群と関連する代表的なツボ
- 膻中(CV17):胸骨体中央。呼吸・情動・自律神経の要穴。
- 中府(LU1):鎖骨下外側。呼吸調整・胸部圧迫感に。
- 雲門(LU2):鎖骨下窩。呼吸改善・上肢緊張の緩和。
- 天池(PC1):腋窩前方。前鋸筋・小胸筋へのアプローチ。
- 巨闕(CV14)/期門(LR14):心下部・肋間緊張の解放。
👉 呼吸・循環・情動をつなぐ経穴群として、胸部施術の中心を担う。
臨床応用
1. 呼吸の浅さ・息苦しさ
- 小胸筋・前鋸筋の拘縮を解放。
- 中府・膻中・雲門への刺鍼で吸気を促進。
2. 猫背・巻き肩
- 大胸筋の短縮と菱形筋の弛緩が原因。
- 膻中・天池・大杼を組み合わせ、前後バランスを整える。
3. 自律神経の乱れ・動悸
- 胸郭緊張が交感神経を刺激。
- 膻中・神門・内関でリラックス反応を誘発。
4. ストレス性の胸部圧迫感
- 精神的抑圧が胸郭に現れる。
- 期門・膻中・中府を中心に施術。
学び方のステップ
- 胸郭の構造を理解:肋骨の動きと筋の連動をイメージ。
- 呼吸動作の観察:吸気・呼気時の胸郭拡張を視診。
- ツボをマッピング:膻中・中府・雲門・天池の位置を正確に。
- 臨床ケース練習:呼吸不全・猫背・自律神経症状で施術計画を立案。
まとめ
胸郭筋群(大胸筋・小胸筋・前鋸筋)は、呼吸の質を左右する“胸の要”です。これらの筋が柔軟に動くことで、酸素摂取が改善され、自律神経も安定します。反対に、緊張や短縮が続くと、呼吸が浅くなり、胸部圧迫感・倦怠感・不安感が生じます。鍼灸では膻中・中府・雲門・天池などのツボを用いて、胸郭筋群と呼吸機能の調和を取り戻すことが可能です。
さらに胸郭筋群は、感情と呼吸の接点でもあります。怒りや不安、緊張といった感情は胸を締め付けるように筋肉を固め、呼吸を制限します。胸を開く鍼灸施術は、身体だけでなく心の解放にもつながります。鍼灸師が胸郭筋群の解剖と経絡の理解を深めることで、呼吸を整え、姿勢を支え、患者の心身のバランスを根本から再構築することができるでしょう。
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