はじめに
東洋医学では、「肝は疏泄を主り、心は血脈を主る」とされ、両者は気血の流れと精神活動を司る密接な関係にあります。
現代医学的にも、肝臓は代謝と血液貯蔵を担い、心臓は全身循環を維持する要。
ストレスや感情の変化は、自律神経を介して両臓器に同時に影響を及ぼします。
鍼灸臨床において、怒り・焦り・不安・抑うつなどの情動変化が動悸や血圧変動、
さらには肩こり・頭痛・月経異常などを引き起こすことがあります。
これらは単に「心の問題」ではなく、肝と心の連携異常=肝心不和による身体反応です。
本稿では、肝と心の構造的・生理的連携を整理し、情動と循環をつなぐ鍼灸アプローチを解説します。
1️⃣ 肝と心の解剖学的連携
| 臓器 | 位置 | 主な生理機能 | 解剖的関連 |
|---|---|---|---|
| 肝臓 | 右上腹部 | 代謝・解毒・胆汁分泌・血液貯蔵 | 下大静脈・門脈を介して心臓へ血液を送る |
| 心臓 | 胸骨後方・左胸腔 | 血液循環・拍動による全身酸素供給 | 肝静脈を介して肝血を受け入れる |
肝臓からの血流は、下大静脈を経て右心房へ直接流入します。
つまり、肝と心は門脈と下大静脈系によって物理的にも連結された一連の循環ユニットです。
血流量の増減は、肝臓の血液貯蔵機能と心拍出量のバランスによって微調整されます。
感情の高ぶり(怒り・緊張)は交感神経を活性化し、肝の血流を滞らせ心拍を増加させるため、
結果として“イライラ・胸のつかえ・顔面紅潮・不眠”といった症状が現れます。
2️⃣ 肝心不和のメカニズム
● 東洋医学的視点
- 肝気の停滞 → 心火上炎 → 動悸・焦燥・不眠
- 肝血虚 → 心血虚 → めまい・情緒不安・夢多し
- 肝火旺盛 → 心神不安 → 頭痛・イライラ・口苦
● 現代生理学的視点
ストレスにより交感神経が優位になると、
血管収縮・心拍数上昇・肝グリコーゲン分解が起こり、
慢性的な交感緊張状態は、不眠・高血圧・精神疲労・抑うつを引き起こします。
3️⃣ 肝と心に関係する主要経穴
| 経穴名 | 経絡 | 位置 | 主な作用 |
|---|---|---|---|
| 期門(LR14) | 肝経・募穴 | 乳頭直下、第6肋間 | 肝気鬱結・胸のつかえ・感情調整 |
| 肝兪(BL18) | 膀胱経 | 第9胸椎棘突起下縁 | 疏泄促進・ストレス緩和・血流改善 |
| 心兪(BL15) | 膀胱経 | 第5胸椎棘突起下縁 | 動悸・不安・不眠・情動調整 |
| 膻中(CV17) | 任脈・気会 | 両乳頭間中央 | 呼吸・情緒安定・胸部緊張緩和 |
| 内関(PC6) | 心包経 | 手首横紋上2寸 | 動悸・不安・ストレス緩和 |
| 太衝(LR3) | 肝経 | 足背、第1・2中足骨間 | 肝気疏泄・イライラ・月経調整 |
これらを胸部・背部・末梢に配置して用いることで、
肝と心を「気・血・神」の三側面から調整することができます。
4️⃣ 鍼灸施術と安全の要点
- 胸部経穴の浅刺厳守
→ 膻中・期門は0.3〜0.5寸。深刺は気胸のリスクあり。 - 背部兪穴の呼吸同調法
→ 肝兪・心兪は吸気時刺入・呼気時抜鍼が安全で効果的。 - 情動性疾患では補瀉併用
→ 太衝(瀉法)+内関(補法)で気血の流れを均衡。 - 慢性ストレス・不眠には温熱併用
→ 肝兪・心兪・膻中に温灸。副交感神経を優位に。
5️⃣ 臨床応用
- 動悸・胸の圧迫感・不安感
→ 心兪+膻中+内関。自律神経と情動の安定を図る。 - ストレス・イライラ・怒りっぽい
→ 期門+太衝+肝兪で肝気の停滞を緩める。 - 抑うつ・不眠・夢が多い
→ 心兪+内関+三陰交で血虚を補い心神を安定。 - 月経異常・PMS・頭痛
→ 肝兪+太衝+膻中で血流と情動のバランスを回復。
まとめ
肝と心の関係は、「血をめぐらせ、神を安定させる」生命活動の軸です。
現代のストレス社会では、感情の抑圧や不規則な生活により、
肝気の滞りと心火の過剰が同時に起こりやすくなっています。
鍼灸師は、解剖学的な位置関係と経絡理論を理解し、
太衝・内関・膻中といった経穴を活用することで、
自律神経・血流・情動を統合的に整える施術を実現できます。
「肝は心を助け、心は肝を導く」。
この両者の調和こそ、身体と心をつなぐ真の“気血循環”であり、
鍼灸の根本的な治療哲学を体現しています。
次回は、「肝腎の関係 ― エネルギーと回復力を支える内臓連携」をテーマに、
生命力と代謝の根を担う両臓の関係を掘り下げます。
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