はじめに
心臓は、全身に血液を送り出す「気血の中心」であり、
東洋医学でも“心は神を蔵す”とされ、精神活動や情動と深く関わる臓器です。
現代解剖学的には、心臓は横隔膜のすぐ上、縦隔の中央に位置し、
一日に約10万回拍動しながら全身に酸素と栄養を供給しています。
その働きは自律神経によって絶妙に制御されており、ストレス・睡眠・情緒変化などに敏感に反応します。
鍼灸師が心臓と循環器系の構造を正しく理解することで、
動悸・息切れ・胸の圧迫感・冷え・不安感・不眠といった症状を、
解剖と経絡の両面から安全に扱えるようになります。
本記事では、心臓の構造・支配神経・関連ツボを整理し、
安全な胸部刺鍼と循環改善のアプローチを詳しく解説します。
1️⃣ 心臓の構造と位置
心臓は拳ほどの大きさで、胸骨の後ろ、左やや下寄りに位置します。
- 位置:第2〜第5肋間の高さ、胸骨左縁〜左乳頭線の内側
- 重量:成人で約300g
- 構造:右心房・右心室・左心房・左心室の4腔構造
- 血流経路:
1. 右心房 → 右心室 → 肺動脈 → 肺
2. 肺静脈 → 左心房 → 左心室 → 大動脈 → 全身
心臓は常に拍動しているため、胸部刺鍼では深刺厳禁です。
巨闕(CV14)・膻中(CV17)などのツボは心臓の直上に位置するため、刺入方向と深度に最大限の注意が必要です。
2️⃣ 冠状血管と神経支配
系統 | 内容 | 鍼灸的意義 |
---|---|---|
冠状動脈 | 心臓自身に血液を供給(右冠状動脈・左冠状動脈) | 冷え・虚弱時の胸部循環改善に関連 |
交感神経 | 胸髄T1〜T5 | ストレスで拍動増加・血圧上昇 |
副交感神経 | 迷走神経 | リラックス時に心拍低下・安定化 |
知覚神経 | 胸部皮膚・上肢内側と連動 | 放散痛の理解に必要(狭心症など) |
鍼灸では、胸部経穴の刺激によって迷走神経を介した副交感神経活性化が期待でき、
動悸や緊張感、不眠症状の緩和につながります。
3️⃣ 心臓と循環に関わる主要経穴
経穴名 | 経絡 | 位置 | 主な作用 |
---|---|---|---|
巨闕(CV14) | 任脈・心包募穴 | 胸骨下端の下1寸 | 動悸・胸痛・不安感 |
膻中(CV17) | 任脈・気会 | 両乳頭を結ぶ線の中央 | 呼吸調整・情緒安定・胸のつまり |
心兪(BL15) | 膀胱経 | 第5胸椎棘突起下縁 | 動悸・焦燥・不眠 |
厥陰兪(BL14) | 膀胱経 | 第4胸椎棘突起下縁 | 胸痛・息苦しさ・自律神経調整 |
内関(PC6) | 心包経 | 手首の内側、手首横紋上2寸 | 動悸・不安・乗り物酔い・睡眠改善 |
神門(HT7) | 心経 | 手首小指側の橈側手根屈筋腱内側 | 不眠・イライラ・動悸 |
胸前部(巨闕・膻中)と背部(心兪・厥陰兪)、そして腕(内関・神門)を連動させることで、
心臓と自律神経を三次元的に調整できます。
4️⃣ 鍼灸施術の安全ポイント
- 胸骨部は浅刺厳守
→ 巨闕・膻中は0.3〜0.5寸の垂直刺、または浅い横刺が基本。
→ 深刺で心膜を刺激する危険あり。 - 背部施術は呼吸に合わせて行う
→ 背部(心兪・厥陰兪)は吸気で胸郭が広がるタイミングに刺入し、軽く外斜刺。 - リラックス姿勢の保持
→ 胸部刺鍼時は仰臥位または座位で、呼吸を整えてから施術開始。 - 温灸・低周波併用による循環改善
→ 背部兪穴への温灸で末梢血流を促進。動悸・冷えの改善に有効。
5️⃣ 臨床応用
- 動悸・息切れ・不安感
→ 巨闕+内関+神門で副交感神経を優位化。 - ストレス・不眠・胸の圧迫感
→ 膻中+心兪+太衝で情緒と循環の両面を調整。 - 冷え・血圧変動・更年期症状
→ 厥陰兪+腎兪+太渓の組み合わせで循環とホルモンを整える。 - 虚弱体質・慢性疲労
→ 心兪+膏肓+関元で「気血両補」。全身の活力を底上げ。
まとめ
心臓と循環器系は、単に血を送るポンプではなく、情動と生命力を統合する中心的存在です。
鍼灸師がこの構造を正確に理解すれば、動悸や不安といった症状の背後にある
「自律神経の揺らぎ」や「血流の偏り」を、臓器レベルで感じ取り対応できます。
巨闕や内関は心臓そのものを直接刺激するわけではなく、心包経を介して保護的に調整する経絡系統です。
つまり、安全な刺鍼と臨床効果を両立させる“東洋医学的安全設計”がここにあります。
心を整えるとは、気血の流れを整えること。
次回は、「肺と呼吸器系 ― 酸素と気を巡らせる“呼吸の臓”」をテーマに、
胸腔と呼吸運動の解剖を詳しく見ていきましょう。
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