華佗と夾脊穴の勘違い

華佗と鍼灸と東洋医学

華佗とは

華佗は「カダ」と読みます。中国後漢末期いわゆる三国志の時代に諸国の病人を治癒させた名医です。「三国志」華佗伝や「後漢書」方術伝に記録があります。漢方や鍼(はり)など、正史に残る医学知識と技術にまつわる逸話は、3世紀のものとは思えぬ驚くべきものばかりだ。正月に飲む「お屠蘇(とそ)」や、「五禽戯」(ごきんぎ)という体操の発案者ともいわれる。扁鵲、張仲景、李時珍を古代中国四大名医の1人にいわれることがあります。

華佗の逸話

『三国志』華佗伝や『後漢書』方術伝・も含めた華佗の逸話として有名なのは曹操の頭痛を鍼で治した、関羽の外科治療を麻酔なしで行ったなど逸話は数知れずです。

エピソード1: 陳登の治療

華佗、鍼灸の名医として知られる彼の最初の逸話は、陳登との出会いでした。陳登は膾を好んで食べていましたが、ある日突然体調を崩しました。華佗の診察により、陳登の胃に感染した寄生虫が巣くっていることが判明しました。急な治療が必要で、華佗は煎じ薬を用意し、陳登に半分ずつ飲ませ、寄生虫を吐き出させました。驚くことに、3年後に再発するという予言も的中し、再び華佗の治療を受けられなかった陳登は悲劇的な結末を迎えました。

エピソード2: 李通の妻の診断

李通の妻が重病にかかった際、華佗は特別な診断を下しました。最初、李通は胎児が既に降りたと思っていましたが、華佗の診断により、双子のうちもう一人が残っていることが判明しました。その通りに、胎児は実際に残っており、李通の妻は成功裏に治療されました。

エピソード3: 尹正の診断

尹正の不調を華佗が診察した際、その症状は非常に深刻でした。手足が熱く、口の中が乾燥し、声が聞こえるだけで苛立ち、小便が通じないという症状でした。華佗は、熱いものを摂り、汗をかけば回復すると診断しました。しかし、汗が出なければ3日以内に死亡するとの予言通り、尹正は汗が出ず、絶命してしまいました。

エピソード4: 李成の病気

軍の役人である李成は、咳と血膿を吐く病気に苦しんでいました。李成を診察した華佗は、病因は肺炎ではなく腸炎であると診断しました。さらに、18年後に再発する可能性もあると警告し、薬を処方しました。驚くべきことに、その予言は的中し、李成の親戚も同様の症状にかかり、薬が必要になりました。しかし、華佗が曹操に捕縛された後、李成の親戚は薬を入手できず、李成は再発してしまいました。

エピソード5: 郡太守の治療

郡太守が激しい病気に苦しむ場面で、華佗は斬新な治療法を提案しました。郡太守を激怒させることが、最も効果的な治療法であると診断しました。驚くべきことに、郡太守は高額の薬代を支払いながらも治療を拒否され、最終的には郡大守に悪口を書いた手紙を残して去っていきました。郡太守は激怒し、数升の血を吐いたことで病気が奇跡的に治癒しました。

華佗夾脊穴は日本鍼灸の技術

よく誤解されますが、腰痛などで用いる華佗夾脊穴は華佗が作ったわけではありません。戦前に日本に鍼灸を学びに留学した承淡安によって、日本鍼灸でよく用いられていた夾脊穴を中国に持ち帰り、華佗夾脊穴と名付けたいうのが、鍼灸学や医学史では定説となっています。

本日の言葉

夢なき者に成功なし
吉田松陰(教育者 思想家)

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