はじめに:痛みの「入り口」に注目する
痛みの伝導は単純な現象ではなく、身体と脳をつなぐ複雑な調整システムの中で制御されています。
鍼灸の鎮痛作用を神経生理学的に説明する理論の中で、最も広く知られているのがゲートコントロール理論(Gate Control Theory)です。
この理論は、脊髄後角の神経回路を「ゲート(門)」に見立てて、感覚刺激の種類によって痛覚の伝達が調整されるという枠組みです。
本記事では、鍼刺激がこの「ゲート」をどう操作し、疼痛抑制に寄与するのかを、生理学的根拠に基づいて解説します。
理論の背景:MelzackとWallによる提唱(1965年)
ゲートコントロール理論は、カナダの神経生理学者Ronald Melzackとイギリスの解剖学者Patrick D. Wallにより、1965年に『Science』誌で発表されました[Melzack & Wall, 1965]。
彼らは、「痛覚は末梢から脳へ一直線に伝わるものではなく、脊髄後角でフィルタリングされる過程を経ている」と主張しました。
この脊髄後角の調整メカニズムを「ゲート機構」と呼び、そこを通すかどうかを触覚や圧覚などの非侵害刺激が制御できると提唱したのです。
生理学的構造:Aβ線維とC線維の入力競合
痛覚伝導においては、以下の感覚神経線維が主要な役割を果たします:
- Aβ線維:太くて有髄。触覚・圧覚を伝える。
- C線維:細くて無髄。鈍い痛みや熱感を伝える。
- Aδ線維:中間の伝導速度。鋭い痛みを伝える。
脊髄後角の第2層(Rexed層)では、これらの線維が介在ニューロン(インターニューロン)を介して投射ニューロンに信号を伝えます。
ここで、Aβ線維からの入力が増加すると、C線維からの痛み信号を抑制する介在ニューロンが活性化されることが確認されています。
つまり、「痛みのゲートが閉じる」のです。
鍼灸刺激が作用するしくみ
鍼刺激が皮膚や筋膜に加わると、触圧覚受容器や筋紡錘がAβ線維を介して活性化されます。
これにより、脊髄後角の介在ニューロンが活性化 → 投射ニューロンへのC線維入力が抑制 → 痛みの感受性が低下という流れが成立します。
さらに、電気鍼や反復刺激では、持続的にAβ線維優位の刺激が入力されるため、より安定的な「ゲート閉鎖」効果が得られると考えられています。
これが、局所の痛み・筋緊張・神経過敏状態の緩和に寄与する生理学的根拠です。
臨床応用と限界
この理論は、慢性痛・筋筋膜性疼痛・頭痛・肩こりなど、明らかな器質的損傷がない機能的疼痛の治療において特に有効です。
ただし、以下のような限界も認識されるべきです:
- ゲート制御だけでは内因性オピオイドや中枢感作を説明しきれない
- C線維を「完全に遮断」できるわけではなく、主観的痛覚は残存する場合もある
- 感情・注意・ストレスなどの心理的要因も痛覚に強く影響する
よって、ゲート理論は「痛覚調節の一側面」として、下行性抑制系や情動系との併用理解が必要です。
研究動向と今後の視点
近年の脊髄・脳機能研究では、ゲートコントロール理論の基本構造が神経回路的にも確認されつつあります。
特に、脊髄後角でのGABA作動性介在ニューロンの役割や、脊髄グリア細胞の疼痛感作への関与など、より微細な神経制御メカニズムが解明されつつあります。
また、fMRIや脊髄刺激法を用いた研究では、鍼灸刺激がAβ線維入力を介して後角の活性化パターンを変化させることも報告されており、今後の基礎・臨床研究の深化が期待されます。
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