はじめに:なぜ「痛みが消えない」のか?
ケガや炎症が治ったのに、痛みがずっと残る。
レントゲンやMRIでは異常が見つからない――こうした症状の背景には、中枢神経の過敏化=中枢感作(central sensitization)が潜んでいます。
この慢性痛の持続には、脊髄・脳レベルでの神経可塑性(Neuroplasticity)の変化が関与しており、単なる末梢治療では改善しづらいケースが少なくありません。
本記事では、鍼灸がこの「痛みの神経記憶」にどうアプローチするのかを、生理学と臨床の両面から掘り下げて解説します。
神経可塑性とは?|脳と脊髄の“つながり”の再構築
神経可塑性とは、神経系が刺激や学習、損傷に応じて構造や機能を変化させる能力を指します。
疼痛に関する可塑性は、大きく以下の2層に分けられます:
レベル | 内容 | 痛みへの影響 |
---|---|---|
脊髄レベル | 後角ニューロンの過活動化 | 痛覚入力が増幅・持続 |
脳レベル | 感覚野・辺縁系・前頭前野の回路変化 | 情動的痛み・注意の歪みが増強 |
これらが組み合わさることで、「痛みの学習」「痛みの記憶」が固定化され、軽い刺激でも痛い/ずっと痛いという状態が形成されます。
鍼灸が神経可塑性に作用するメカニズム
① 脊髄後角の過敏性抑制
- 鍼灸は、Aβ線維(触圧覚)からの入力を強化し、ゲートコントロール理論に基づいてC線維の入力を抑制
- 電気鍼による反復刺激は、脊髄後角の興奮ニューロン(Wide Dynamic Range細胞)の反応閾値を上げ、痛覚入力を「減感作」する
② 脳内ネットワークの再編成と情動調整
- 鍼刺激は内因性オピオイド系(エンドルフィン)やセロトニン系の活性を高め、扁桃体・前帯状皮質などの情動関連領域の活動を抑制
- fMRI研究では、鍼灸が感覚野と前頭前野の接続性を調整し、痛みの注意バイアスを軽減することが報告されている
③ GABA・グリア細胞を介した中枢感作の抑制
- 鍼刺激は抑制性神経伝達物質GABAの放出を促進し、脊髄後角の過活動を鎮静化
- 同時に、慢性痛で活性化しやすい脊髄グリア細胞のTNF-α・IL-1β分泌を抑え、神経炎症ループを遮断
鍼灸が効果を発揮する主な疾患
疾患 | 神経可塑性の関与 | 鍼灸の応用ポイント |
---|---|---|
慢性腰痛 | 脊髄後角・扁桃体の過敏化 | 腰腿部経穴+神門・百会で抑制系活性化 |
線維筋痛症 | 全身性中枢感作・痛覚増幅 | 合谷・足三里・内関で内因性鎮痛系刺激 |
片頭痛 | 三叉神経系の感作と脳幹ネットワーク異常 | 百会・太陽・風池で痛覚閾値の再設定 |
複合性疼痛症候群(CRPS) | 自律神経と脊髄感作の合併 | 局所循環改善+中枢抑制刺激を併用 |
代表的な経穴とその狙い
経穴 | 主な作用 |
---|---|
神門(しんもん) | 扁桃体の興奮抑制、GABA系促進 |
百会(ひゃくえ) | 中枢抑制ネットワークの調整 |
足三里(あしさんり) | 内因性鎮痛系(エンドルフィン)刺激 |
合谷(ごうこく) | 頭頸部の感作緩和、気血調整 |
太衝(たいしょう) | 感情的興奮と交感神経抑制 |
注意点と治療戦略
- 神経可塑性は可逆性を持つが時間がかかるため、週1〜2回の継続治療が必要
- 精神的トラウマ・過去の疼痛経験が絡む場合は、心理的サポートや多職種連携が望ましい
- 鍼刺激の強度・頻度は、感作の程度に応じて個別調整が必須
まとめ
鍼灸は、末梢から中枢に至る「痛みの回路」に多層的に働きかけ、神経系の可塑的変化を正常な方向へ導く治療法です。
単なる鎮痛ではなく、「痛みの再学習」や「過敏化のリセット」にまで踏み込む可能性を持ち、慢性痛治療の重要な選択肢となり得ます。