はじめに ― 鍼灸臨床で向き合う「産後うつ」
近年、産後うつ(postpartum depression)は社会的にも注目されており、出産経験者の約10〜15%に見られると報告されています(厚生労働省・日本産科婦人科学会調査より)。
産後うつは、出産後のホルモン急変や心理的ストレスによって引き起こされ、放置すれば長期的な抑うつ・不安・育児困難を伴うケースもあります。
鍼灸師にとって産後ケアは、母体のホルモンバランス・自律神経・気血循環を整える重要な分野です。
この記事では、産後うつの基礎知識と、鍼灸による具体的なアプローチ法を整理します。
産後うつとは ― 定義と発症の特徴
定義
産後うつ(postpartum depression)とは、出産後数週間〜数か月の間に発症する抑うつ状態を指します。
「マタニティブルー(出産直後の一過性の気分変動)」とは異なり、2週間以上続く持続的な抑うつ状態 が特徴です。
発症率とリスク要因
- 出産後6週間以内に最も多い
- 約10人に1人の割合で発症
- 初産婦やサポートが少ない母親で高リスク
産後うつの主な症状
精神的症状
- 抑うつ気分(悲しみ・絶望感)
- 意欲・興味の低下
- 不安や焦燥感
- 自責感・自己評価の低下
- 赤ちゃんへの関心の希薄化
身体的症状
- 睡眠障害(寝つけない・途中覚醒)
- 食欲変化(食欲不振または過食)
- 慢性的な疲労感
- 頭重・肩こり・腰痛など自律神経性の症状
行動的変化
- 人付き合いの回避・孤立傾向
- 育児放棄への恐怖や罪悪感
- 稀に自傷的な思考(重度の場合)
産後うつの原因とメカニズム
ホルモン変化
出産直後は、エストロゲン・プロゲステロンが急激に低下します。
これにより、脳内セロトニン・ドーパミンのバランスが乱れ、抑うつ症状が起こりやすくなります。
身体的要因
- 睡眠不足・授乳による体力消耗
- 栄養不足(特に鉄・亜鉛・ビタミンD)
- 出産時の出血・冷え
環境・心理的要因
- パートナー・家族の支援不足
- 育児への不安・孤立感
- 完璧主義的性格傾向
鍼灸師ができる産後うつへのアプローチ
産後うつの改善には、医療・心理・東洋医学 の連携が必要です。
鍼灸は、体質の回復と自律神経の安定化を目的とした補助療法(サポートケア)として有用です。
1. 東洋医学的な病機の理解
産後うつは、東洋医学的に次のような病機で捉えられます。
病機タイプ | 主な特徴 | 推奨治療方針 |
---|---|---|
気血両虚 | 出産後の消耗による虚弱・倦怠 | 補気・補血(脾胃・肝の調整) |
肝鬱気滞 | 情緒不安・イライラ・胸脇部張痛 | 疏肝理気・気滞の解消 |
心脾両虚 | 不眠・不安・健忘・食欲不振 | 養心安神・健脾益気 |
血瘀(けつお) | 頭痛・冷え・抑うつ感 | 活血化瘀・温経通絡 |
2. 鍼灸による具体的アプローチ
主な施術目的
- 自律神経の安定(交感・副交感のバランス)
- ホルモン分泌の調整
- 睡眠・情緒の改善
- 血流促進と冷えの解消
代表的な経穴
経穴名 | 部位 | 主な作用 |
---|---|---|
百会(GV20) | 頭頂部 | 精神安定・気の上逆を鎮める |
内関(PC6) | 前腕内側 | 不安・動悸の緩和、自律神経調整 |
三陰交(SP6) | 下腿内側 | ホルモンバランス調整・血行促進 |
神門(HT7) | 手首内側 | 不眠・心悸亢進の改善 |
足三里(ST36) | 膝下外側 | 体力回復・補気補血作用 |
👉 施術では、刺激量を抑えた補法中心の鍼灸を行い、リラックスを重視することが望ましいです。
3. 併用が有効な療法
- 心理療法:認知行動療法(CBT)、対人関係療法(IPT)
- 栄養療法:鉄分・亜鉛・ビタミンB群の補給
- 軽運動・ヨガ:副交感神経活性・呼吸法によるストレス軽減
- 家族支援・地域サポート:孤立を防ぐ社会的関与
鍼灸単独ではなく、これらの療法と併用することで、より安定した回復が期待できます。
鍼灸臨床における注意点
- 抑うつ症状が重度(自殺念慮・極端な不眠など)の場合は、速やかに医療機関へ連携・紹介。
- 授乳中は、刺激量・体位・施術部位に配慮する(腹部・腰部への強刺激は避ける)。
- 施術環境は静かで温かく、安心感と信頼関係の構築を重視する。
まとめ ― 鍼灸師が支える「産後のこころとからだ」
産後うつは、心の病であると同時に、身体とエネルギーの失調でもあります。
鍼灸師は、産後女性の体質回復・自律神経調整・心身の再バランスを整える専門家として、大きな役割を担います。
- 早期の発見と医療連携
- 穏やかな補法による気血の回復
- 安心感を与える施術環境づくり
これらを意識し、鍼灸 × 心理 × 生活支援の三位一体のアプローチで、産後うつの改善を支えていきましょう。
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