承淡安とは何者か?|近代中国鍼灸の父が歩んだ復興と日本との学術交流の軌跡

はじめに|「近代中国鍼灸の父」承淡安とは?

中国の清代末期、太医院(王族の医療機関)において鍼灸が公式に廃止されて以来、中国鍼灸は約100年にわたり衰退の時代を迎えていました。

そんな中で、中国における鍼灸の近代的復興を成し遂げた人物が承淡安(しょう・たんあん/1899–1957)です。
彼は鍼灸の制度化・教育普及・文献整理を推進し、中国における“鍼灸再生の立役者”として評価されています。


鍼灸復興への情熱|治療・教育・出版の三本柱

承淡安は、鍼灸師だった父の影響を受けて鍼灸に親しみを持って育ちました。しかし当時の中国では、鍼灸は民間療法として細々と続く程度で、正統な鍼灸医学はほぼ絶滅状態にありました。

そうした危機感のもと、承淡安は1930年代に入って以下のような活動を精力的に展開します:

  • 1932年:「中国鍼灸学研究社」設立(通信教育による普及活動)
  • 1933年:中国初の『鍼灸雑誌』を創刊
  • 『中国鍼灸治療学』をはじめとした鍼灸専門書の出版

これらの取り組みにより、伝統医学の知を現代に受け継ぐ教育基盤と情報ネットワークが整備されていきました。


日本留学と学術交流|坂本貢との縁と“逆輸入”の十四経発揮

1930年代初頭、承淡安は日本の鍼灸教育を学ぶため来日します。彼は当時の東京高等鍼灸学校(現:呉竹学園東京医療専門学校)に約8か月間在籍し、日本の近代鍼灸教育の体系や教材を直接体験しました。

この留学において彼は:

  • 坂本貢校長(創設者)から正式に修了証を受け取る
  • 目黒雅叙園で送別会が開かれるなど、深い交流を築く

また、留学中に和刻本の『十四経発揮』を古書店で入手し、さらに:

  • 医道の日本社が扱っていた鍼灸銅人の写真資料(東京国立博物館)
  • 人体神経図や鍼灸器具など多数の資料・物品を持ち帰りました。

これらは、帰国後の『校注十四経発揮』『銅人経穴図考』の編纂に活かされ、中国で忘れられかけていた古典文献の再評価と体系化に大きく寄与することになります。


中医弾圧の時代に教育を継続|通信教育という革新

1929年には、中国で西洋医学偏重政策が推進され、中医学そのものが国家的に排除される動き(いわゆる中医弾圧)が強まりました。そのような逆風のなかでも、承淡安は創意工夫を凝らします。

当時、江蘇省呉県にて中国初の鍼灸通信教育機関「中国鍼灸学研究社」を設立し、1932年には無錫へ移転。全国に教材を郵送する形式で、多くの学習者を育成しました。

この取り組みは、物理的・社会的制約の中でも鍼灸を学ぶ道を切り開いた先進的な試みとして高く評価されています。


承淡安の功績まとめ|近代鍼灸の礎を築いた人

承淡安の業績は、単なる「臨床家」や「学者」の枠に収まりません。彼は:

  • 鍼灸の社会的地位の回復に尽力
  • 教育制度の基盤整備を主導
  • 中日間の学術交流を促進
  • 文献の整理と出版により、古典を“現代語”として再提示

という多面的な貢献により、まさに「近代中国鍼灸の父」としての名にふさわしい人物です。

彼の残した道は、いまも中国や世界各地の鍼灸教育・臨床・研究の礎として受け継がれています。

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